時の流れの忘れ物


京の三条大橋より東へ旅立つと、旅人達は30分ほどで隣村の山科、さらに滋賀の
大津へと結ぶ日ノ岡峠に達する。
この峠を越えて山科の農産物、湖国の名産が都へ運ばれ、都の瀟洒な産物が地方へと運ば
れた。又、人の往来も激しく主要な街道(東海道)であった。
今でこそ車で5分位で通り抜けられるが、江戸時時代までは、道幅も3m位で急な坂道であり、
まして雨や雪の日はぬかるんだ道を旅人は勿論、荷物を一杯積んだ荷車は大変難儀して越
していた。
そこで江戸初期、木食応其(もくじきおうぎ)上人という人が峠の改修工事をなされた。峠道を掘
り下げ坂を緩やかにし、そこに敷石で舗装をした。その敷石には荷車の通り易いように溝が刻
まれた。
数え切れないほどの牛馬に引かれた荷車が通り、さしもの硬い石も摩滅して大人のコブシがす
っぽり入る程の溝になってしまった。
この先人の知恵と努力の証しは今も当時に敷き詰められていた峠道の傍で石碑の礎石として
人や車の往来を静かに見つめている。



時代の移り変わりとともに今も姿を変える日ノ岡峠
路面電車が撤去され拡幅整備されている